2年目地方公務員が適応障害になった話
1 概要
人間関係にも私生活にも不満の無かった2年目地方公務員が適応障害になり、身体と心に不調が生じて仕事を辞めるまでの話
2 新卒時代の就職活動
4年制大学に通っていた私は、「経済活動を支えたい」という漠然な想いから公務員になることを決意し、3年の夏辺りから公務員予備校に通い始めた。
直前期には毎日15時間程度机に向かった甲斐もあり、上位10位以内の順位で合格することができ、順風満帆の社会人生活を迎えることに期待していた。
同時に民間企業の就職活動もしており、何社か内定をもらうこともでき、少し悩んだけども「ずっと勉強してきた」という理由から公務員へ進むこととした。
3 入庁後
入庁後は希望の部署に配属になった。月60時間程度残業をするような忙しい部署であったものの、毎日必死に仕事をしていくことでなんとか業務をこなしていくことができた。
1年目は部の管理系の仕事を、2年目には広報関係の仕事に携わり、貴重な経験をすることができたし、公務員としての仕事の進め方を身をもって学ぶことが出来たと思う。
4 仕事を通じて抱いた違和感
2分野の仕事に携わるとともに、公務員の仕事のあり方や自分の適職について少し考え始めるようになった。
⑴文書主義の徹底について
公務員はよく言われるように「文書主義」である。何事も文書に起こして仕事を進めていく。私はこのことに「無意味さ」を感じてしまった。
文書に残すことで記録として残すことができること、これは非常に大切だと思う。意思決定の過程などを後任の人でも確認することができるから。
どこに「無意味さ」を感じたかというと、「 内部資料への力の入れ方」である。
理事に説明をするため、資料を作成するとした時の過程はこんな感じ。その資料をまずは課長に見せる。課長からの修正指示を反映した資料を部長に見せる。部長が資料の内容をガラッと変えるように指示を出すと、それを反映したものを再度課長に見せる、、、といった感じだ。
A4資料一枚分の説明をするために3日以上かかることがある。これに無意味さを感じてしまうのだ。
⑵形式的な業務について
組織を動かす以上、形式的な業務は欠かせないのかもしれない。それがどうしても耐えられなかった。
所属していた自治体では、年に1回内部の監査が入ることがあるため、それに向けて直前期に準備を行う。準備の内容としては、「ちゃんとやっているように見せる工作」であり、いわば仕事のための仕事である。
その準備のために担当職員は残業をし、終電を逃し、タクシーで家に帰る日々を過ごす。無意味さに苦しさを覚えた。
⑶事業が生まれる仕組みについて
自治体の施策が生まれる仕組みは大きく2つあると思う。
・自治体の抱える課題を解決するため
・外部からの批判を逃れるため
課題解決のための施策は効果的だと思えたが、外部の批判を気にした結果生まれた施策には必要性を感じることができなかった。
⑷成長について
「15年勤務している職員と1年目職員が全く同じ業務をしている状態はどうなんだろうか」と入って最初に感じたことが強く記憶に残っている。どういうことかというと、「部の管理」という仕事を任された私だが、他部の同業務を行なっている人が15年目の職員だったのだ。この時に「10年後、20年後の自分の成長」をイメージできなくなってしまったのだ。
また、公務員の仕事というのが、自分にとって苦手な分類の業務であることに気づいたのだ。いくら時間をかけても他の人より進みが遅いこと、これまで成長したことを振り返った時、思いつくことがなかった。
5 心身への違和感
以上の違和感の中働いていたせいか、日に日にストレスを感じていたのかもしれない。
異常はまず心から発生した。
・倦怠感
・不安、悲しみ
・外出したくない欲
・どこか遠くに行きたい 等
その後、身体への以上も発生した。
・腹痛
・吐き気
・息苦しさ
・睡眠障害
・食欲不振 等
生活スタイルも以前とは打って変わって引きこもり生活になった。
6 病院へ
自分がおかしいことに気づいたらことで、精神科、心療内科に行く決心が付いた。
病院では今の状態をありのままに伝えた。先生は優しくてなんでも聞いてくれる人で非常に安心できる人だった。
診断結果は「適応障害」ということで、約2ヶ月の休職を勧められた。
7 今後について
まずはゆっくり休もうと思う。そのあと、今後どうして行くのかを考えて行きたい。
ただ、公務員という道を進むことはやめることは確実にいえるから、公務員を辞めた後、どんな職業につき、どんな仕事をして行くのか、それを考えるにあたって何を考慮しなくてはいけないのかをゆっくり、焦らずに考えていこうと思う。
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